昭和35年頃初代館主、鈴木 進は釣り好きが 講じて小さな舟をもっており、時々この地に 訪れておりました。 たまたま、この地の砂浜に舟を着け弁財天に お参りをし、近くを散策していた処、小さな 湧き水を見つけ、このすばらしい源泉を多く の近隣の人々に利用してもらえたらと、・・ これが現在の当館の源泉となっており、弁天鉱泉 の基本理念でも有りました。 |
小浦弁財天 三代目 画 |
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昭和37年に弁天鉱泉を創業し主に近隣の人々達 の憩いの場として利用されて居りましたが、初 代館主が途中、病に倒れ、2代目が営業を続け て参りましたが、平穏無事とはいかず時代の流 れと環境の悪化により現在の場所に昭和44年営 業地を移転し現在に至って居ります。 その時に植えた桜は、現在大木と成り春には 道行く人々の目も楽しませると共に、当地の 安泰をじっと入り口で見守っています。 |
三代目はちょっと変わり者? 旅館の長男に生まれてしまい、後を継ぐ事に・・・ ピアノの調律師をしていた東京から27歳の時、帰郷 そして結婚・・しかし調律の仕事は皆無。 悩んだ末、プライドも捨て地元の漁業組合のせり人 に・・あっと言う間に10年間が過ぎ、ふっとした時 温泉旅館の経営に疑問が・・・他とは違った旅館が 有っても良いのでは・・・・・・1日4組限定の宿! |
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![]() 露天風呂 影向の湯 |
昭和55年に、房州石の雰囲気を表現した内風呂を その後、玄関・お部屋の増築等、宮大工による 純和風旅館への改装が進みました。 現在は11部屋になりましたが、 1組のお客様に、お休みになるお部屋とお食事用の お部屋を別々に2部屋ご用意するシステムを採用し ております。 平成10年には、こだわりの粋を尽くした露天風呂 が完成しました。 |
しかし、時代の流れや人の考えの変化により 40年来続けて来た日帰り1回入浴は、町からの 入湯税の徴収開始や入浴マナーの点において 岐路にたちました。 1日4組のお客様への、おもてなしとの両立は 不可能と考え、平成13年6月末に残念ながら 廃止する決断を致しました。 平成15年には、 ![]() これからは1日4組のお客様に、先代の基本を 受け継ぎながら鋭意努力して行くつもりです。 |
![]() 内 湯 |
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●以前は、温泉と鉱泉に分類されていましたが 現在は温泉法が変わり全て温泉と称している。 ●千葉県には火山帯が無いので昔で言うと鉱泉 で加温をしている。 ●当館は、内湯は循環式では無くかけ流し式の オーバーフロー方式を採用しております。 露天風呂は、源泉を使用しない枇杷葉の薬草湯 ●毎日お湯を入れ替えする為、夜は10時までの ご利用とさせて頂いております。(ご理解を!) |
●平成19年8月、原点でもある他の旅館に 無い物を作ろうと、長年構想を練っていた 24時間入浴可能の源泉掛け流し3人浴槽の 露天風呂と手作りの水車を庭に配した[粋]と [癒し]を両立させた[吉の間]を完成させまし た。 メゾネット式の2階には海が見える寝室と 10畳程のバルコニーを備え、御利用頂いた お客様からは、賞賛と驚きの声を頂いており ます。館主人生の集大成かも知れません。 |
![]() 三代目館主 画 |
◆ 本来旅館は、旅籠(はたご)では無いのでしょうか。
その土地に根付いた商売で、その土地に行かないと食べられないものを提供し、又その土地
の心にふれられるような暖かい雰囲気でおもてなしするのが旅館(旅籠)では無いかと考えます。
いくつかの、こだわりをもって自然体で、これからも、おもてなしをして行くつもりです。
飲んで騒いでと、言ったお客様たちには、御不満の残る宿かも知れませんが・・・・・・・・・・・・・
* 最後までのご拝読、有難う御座いました。 三代目 館 主